嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

「批評」も「正論」も愛情の大敵!「どちらが正しいか」ではなく相手を理解する姿勢が大切

とり暮らし初日の話。

夕食や洗濯を終えて、ほっと一息つくと同時に、食後に台所で母と二人過ごした時間を思い出して、お恥ずかしながら少し泣いてしまいました。

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二度と手に入らないもの

れが理由で引っ越したわけではありませんが、四六時中母親がハイテンションで話しかけてくるという環境にうんざりしていたので、自分でも驚きでした。

二度と戻らないつもりで家を出たので、もうあの時間は手に入らないのだと思って、切なくなってしまったんでしょうね。
よく考えたら、近所なのでいつでも遊びに行けるし、実際、仕事で実家に通っているので頻繁に両親とは顔を合わせているのですが(笑)

「仕事や結婚の関係でいつか遠くに引っ越すようなことになたら……」
と、そこまで想像してメランコリックに陥ってしまいました。
反抗期が長すぎて、これまで素直に甘える機会がほとんどなかったので、今ちょっと子ども返りしています。

 

母の嫌いなところ

んなわけで、その日は母のことばかり考えていました。まるで恋煩いです。

こんなことを書くと、めっちゃ仲良し母娘みたいですが、実際は毎日のように口喧嘩を繰り返していました。

母は話し始めるとなかなか止まらないし、すぐに父親や友人の批判を始めるし、話を整理するのが下手なのでいつも内容を理解するのが大変です。

そうした部分がいちいち気に障って、つい攻撃的になってしまっていたのです。

「母親のくせに、何で娘に近況とか聞いてくれないんだ!」

「どうしてわたしが聞き疲れてぐったりしてることに気づかないんだ!」

「父親の悪口を聞かされるわたしの気持ちも考えてよ!」

直接は言いませんでしたが、心の中ではこんな思いがひしめいていました。それが別な形で言葉の棘となって現れてしまっていました。

 

欠点さえも可愛らしく感じられるように

けどこの夜、わたしの中にある変化が起こりました。
そういった母との喧嘩を思い返しながら、なんだかフッと笑けてきたのです。そこには、欠点だと思っていた彼女の癖を、何だか可愛らしく感じている自分がいました。

そのときに、「ああ、これが愛情か。本当に愛していると、こんなふうに欠点さえも可愛らしく感じられるものなんだな」と、突然、腑に落ちたのです。

自分に足りなかったのはこの感覚だったのだな、と。

 

「どちらが正しいか」にこだわらないこと

は「どちらが正しいか」にこだわり始めると愛情を見失ってしまいます。相手の言動の表面を「厳しい批評の目」でしか見ることができなくなって、そこにある相手の本心に対して盲目になってしまうのです。

ということで、「批評者」ではなく「家族」「友人」「恋人」として、他者と接していけるようになることが今後のわたしの目標です。

傍観していて強く感じたことですが、両親の夫婦問題もそこに端を欲しているように感じられました。これは多くの人間関係のトラブルにも共通することではないでしょうか?

 

以上、本日もお読みいただいてありがとうございました。