嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

人間関係を円滑にするポイントは『自分から相手を受け入れにいくこと』

達障害の当事者同士で集まって、お茶やお菓子をいただきながら話し合う自助会というものに初参加してきました。

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行く前はいろいろと不安でしたが、同年代の人が多くて学校みたいな雰囲気でした。単純に楽しかったというのもありましたが、得たものも大きかったので、参加してみて本当によかったと思っています。

 

好き嫌いが激しいのになぜかみんな平気

とある広凡性発達障害の男性が「同じ空間に嫌いな人が一人でもいると無理」ということを話されていたので、「ここ(自助会)は大丈夫なんですか?」と質問してみました。すると、「ここは大丈夫」とのこと。

そんなものなのかー、と流しかけたのですが、『自分も好き嫌いが激しい方なのに、そういえば今日は誰かにイライラするようなことはなかったな』と気づいて疑問に感じました。

 

受け入れられることで受け入れる姿勢になる

に恵まれたのかなと思ったんですけど、よくよく考えてみると、そもそも接するときの心構えが違いました。

私は、いつもは初対面の人と会うとき、自分が受け入れられるかどうか不安に感じながら接しています。

だけど、このときは、「みんな似たり寄ったりの性質だから、大抵の部分は受け入れてもらえるだろう」という安心感があったんですね。そして同時に、『受け入れてもらうからには、こちらも全力で受け入れよう』という姿勢ができていました。

 

ふだんの対人関係でも同じことが言えるのでは?

これは発達障害を持つ者同士に限った話ではありません。

人が他者を攻撃するのは一種野防衛反応のようなもので、その裏には『拒絶されることへの恐怖心』がある……のだと思います。だから、『拒絶されるのでは?』という猜疑心を捨てることで、自然と攻撃性が薄れたのではないでしょうか。

多少、不快感が生じても、「こういう性質の人なのだな」と思うだけで、過剰な反応は起こりませんでした。嫌いという感情も生まれませんでした。あくまでも、相手の一部分が好ましくないというだけで、その人を嫌いになる理由にはならないといいますか。

そして、これは逆に考えると、『自分から相手を受け入れにいく』ことで、どんな相手とも良好な関係が築けるということではないでしょうか。今後、人間関係の場において実験してみたいと思います。

 

まとめ

間関係については、これまで悩み続けてきましたが、やっとここで解決の糸口が見えてきたような気がします。