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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

わたしが発達障害にこだわるのをやめた理由

分は多動性・注意欠陥障害(発達障害の一種)なのでは?

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そんな疑問を持ち始めてから、持ち前のこだわり症を発揮して、診断してくれる病院や発達障害とIQとの関係について調べてきました。その結果、わたしは発達障害へのこだわりを捨てることに決めました。

今日はその理由についてまとめてみます。

 

『日常生活への支障』という言葉の曖昧さ

達障害を持つ人の特徴として挙げられている項目の中には、健常者にもある程度当てはまるというものが多いです。だから、サイトなどを見ていると、『日常生活に支障があるかどうか』がひとつの目安として示されています。(『支障があったら発達障害です』という意味ではなくて、『日常生活に支障がないなら検査受ける必要ないですよ』というニュアンスです)

これを自分に当てはめて考えてみたときに、『日常生活への支障』という言葉の曖昧さの壁にぶつかりました。

わたしは現在、日常生活には特に不便性を感じていません。実家で働いているので仕事のミスをしても帳消しですし(フフフ)、勤務時間中に寝転んだり空想に浸ったり事務所内をウロウロしたりしてもお咎めなしです。

でも、これってものすごく特殊なパターンだと思うんですよ。もし、何らかの事情があって再び勤めに出たら、途端に『日常生活に支障あり』という状況に陥る可能性大です。

そういう意味で、『日常生活への支障』って、状況に左右されやすいと思うんです。こうした理由から、わたしは『日常生活への支障』がないにも関わらず、自分が発達障害持ちである可能性を捨て切れずにいました。


自分はいったいどうしたいのか?

達障害にこだわり続けるわたしを、母はあまりよく思っていませんでした。あるとき、「あんたいったいどうしたいの?」ときつい口調で問いかけられました。

その答えを真剣に考えるうちに、下のような思いが次々と浮かんできました。

 

『自分は発達障害を言い訳に使いたいだけなのではないだろうか?』

『仕事のミスが多いのもじっとしているのが苦手なのも単なる性格かもしれない』

『自助会で出会った人たちと似通っていいる部分も多かったけれど、なんとなく自分だけが場違いであるような感覚も確かにあった』

 

発達障害と診断されてもされなくても何も変わらない

こで、もし自分が発達障害だと診断された場合、生き方がどう変わっていくのかについて考えてみました。

結果、何も変わらないという結論に達しました。

病院で発達障害だと診断された場合、精神薬を処方される可能性があるようですが、わたしは薬の毒性を問題視しているので飲むつもりはありません。

障害者枠で働けたら楽なのかな、という甘い考えも一瞬浮かびましたが、実際に働いている人から話を聞いていみると、一般的な社員として働くのと同じくらい(あるいはそれ以上なのかな?)ストレスも溜まるし、縛りだってあるし、大変だということがわかりました。そもそも、会社に属することが嫌で他の道を模索しているのに、障害者枠も何もありませんよね。自分を見失っていました。

結局、わたしは発達障害だろうそうでなかろうが、これまでのように苦手分野は回避したり工夫したりしてストレスフリーに乗り切り、自分の特性を発揮できる生き方を模索していくだけなのです。「だったら、どっちだっていいじゃないか」と思いました。

 

発達障害を意識することで自分の可能性を縮小することになる

たしが発達障害へのこだわりを捨てようと思ったのにはもうひとつ理由があります。

わたしはこれまで多くの問題を工夫や思考転換によって解決してきました。いつのまにかできるようになっていたこともいくつかあります。たぶんそれらは、『発達障害の特徴だから仕方ない』と思っていたら得られなかったものだと思います。

知らなかったからこそ、自分にもできるはずだと信じて乗り越えてこられたのです。(乗り越えられたということは、発達障害ではなかったという考え方もできるのかもしれませんが)

だったら、もし発達障害だったとしても、そんなことは忘れて生きていった方が可能性が広がるのではないかと思いました。

以上が、わたしが発達障害にこだわるのをやめたもうひとつの理由です。


まとめ

時的に発達障害にこだわったのは、たぶん”納得したかった”からだと思います。仕事でミスばかりしていたのも、周囲の大人から責められてばかりだったのも、発達障害のせいにしてしまいたかったのです。それはつまり、無意識のうちに自分を責めていたということです。

なので、発達障害のせいにするのではなく、『私は精一杯やってきたし、すべてあれで完璧だった』と思い直すことに決めました。

なんだか、エゴ全開の記事になってしまいましたね。公開するのが怖いのですが、こんな記事でも誰かのヒントになればと思います。