嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

他人からの評価なんて怖くない!「評価」はされる側ではなくする側の人間性を表すもの

校でも会社でも、他人から「評価」される機会って多いですよね。

頭の良し悪しや仕事の成績はもちろん、その他、容姿・性格・声・仕草・家庭環境・経済面・コミュニケーション能力など、人と接する限り、あらゆる方面から「評価」されることになります。

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それが良い評価なら、嬉しい気分になったりモチベーションアップに繋がったりします。しかし、反対に悪い評価であった倍、傷ついたり落ち込んだりして、前に進むのが怖くなってしまいます。

 

『評価される側』ではなく『評価する側』の人間性が見える?

から指摘されたり批判されたりしたとき、多くの人は自分を否定されたと感じ、落ち込んでしまいます。

「自分はダメな人間だ」と思い込んでやる気を失ってしまいます。

どうしてこういう反応になってしまうかというと、それは、相手の言葉を「真実」として受け取ってしまうからです。

これについて、「あの世に聞いた、この世の仕組み 」という本の中に興味深い記述を見つけたので、引用します。

 

「主観・評価」によってあらわにされるのは、「真実」でも「評価される側の人間性」でもない。「評価する側の人間性」なんだ。

 

どういうことなのか、例を挙げながらお話していきますね。

 

もし、仕事仲間や仲良しグループと一緒にいるときに、

「そうやってすぐになんでも笑って誤魔化すところ、よくないと思うよ」
と指摘されたとしたら、あなたはどう感じますか?

私だったら、その意見が図星であれば、「隠していた欠点がバレてしまった」「自分のイメージが悪くなってしまった」と感じます。ショックの度合いによっては、次回から、そのメンバーの集まりに参加することをためらうかもしれません。

しかし、上で引用した通り、誰かが口にした『評価』によってあらわになるのは、自分の欠点などではありません。表面化するのは、『評価した側の価値観・人間性』なのです。

上の例で考えると、

単に、評価した側が「笑って誤魔化すのはよくないこと」という価値観で生きているというだけのことです。他のメンバーの中にも同じ価値観の人がいれば、「そうだなー」と感じてあなたのイメージが悪くなるかもしれませんが、やはり、それだけのことです。

それは「あなたの真の姿」を映し出す言葉ではなくて、口にした人の心の中を表現したものということです。

 

『評価』によって変わるのは評価した側の世界でしかない

とえば、Aさんが仕事上のパートナーである無口なAさんを『面白くないヤツ』と評価したとします。この場合、何がどう変わると思いますか?

あなたも一緒に考えてみて下さいね。

 

……では、答え合わせをしましょう。

 

正解は、『Aさんの世界が、つまらないものに変わる』です。

BさんがAさんの価値観を自分の中に取り入れて、「自分は面白くないヤツだ」と感じてしまわない限り、Aさんの下した評価によって変わるのはAさんの世界観だけなのです。

そのような評価を下したがゆえに、Aさんは「面白くないヤツ」と働く羽目になってしまったのです。「面白くないヤツ」と働いているので、当然、Aさんは仕事が面白くありません。

もしここで、AさんがBさんのことを、「大人しくて一緒にいて落ち着く」と評価していれば、働いている時間の感じ方も大きく変わってきます。一緒にいて落ち着く相手と強力しあうわけですから、きっと、仕事中は穏やかな気分で過ごせることでしょう。


悪い評価に凹みそうになったら、『観察モード』に切り替える!

し、誰かに悪い『評価』を下されて凹みそうになったときは、意識を『相手の価値観を観察すること』に向け直してみましょう。

『なるほど、この人は~を悪いことだと思っているのか』と、冷静に分析することで、過剰な反応を防ぐことができます。

 

まとめ

は人一倍プライドが高い人間なので、他人から評価されることを異常に怖れているところがあります。なので、小説の批評会などに参加するときなど、どうしても評価されることを避けられないときは、観察モードで切り抜けています。