嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

「与えることが愛説」VS「尽くし過ぎると逃げられる説」

ピリチュアル関係の本では、『与えることこそが愛だ』という説をよく見かけます。他に、『与えたものを受け取ることになる』とか、『受け取るのではなく与える方が先』という考えについても、多くの人にとって馴染みの深いものだと思います。

……この考えをそのまま恋愛に適用すると、好きな人にひたすら与え続けることが、良好な関係を築くコツなのかなと思えてきますが……。

f:id:chelsea-labo:20151202104724j:plain

 

でも、一方で、尽くし過ぎると男はダメになるとか、女として魅力を感じてもらえなくなるとも言われています。

いったい、どっちが真実なのでしょう!?

 

与える事=尽くすことではない?

えることが愛だという説と、尽くし過ぎると恋愛はうまくいかないという説は、一見、矛盾しているように感じられます。これは、『与えること』に対する一般的なイメージのズレが原因です。

尽くすというと、彼の身の回りの世話をなんでもかんでもして、それこそお母ちゃんみたいに何もかもを管理することをイメージしちゃいませんか?

どこかの本に書かれていたけど、日本女性の大半が「犠牲的に尽くすこと」を愛だと勘違いしているそうです。だから、相手を好きになればなるほど、無理をしてでも相手に尽くして、結果「重い女」認定されてしまうわけです。

そもそも、こうした尽くし方は純粋な愛ではありません。根底に、「相手の愛を独占したい」という下心や執着心かあるからです。だから、相手から望み通りの見返り(この場合、自分だけを好きでいてくれる、十分な愛情表現をしてくれるなどです)をくれないと、「わたしはこんなに我慢してあなたに尽くしてるのに、どうしてあなたは応えてくれないの!」って不満が溜まってきて、相手を責めたり束縛したりしてしまうのです。当然、そんなことをすれば相手の気持ちは離れていってしまいます。


相手のことを知ろうとしないと愛は与えられない

は、『与える』って、具体的にはどういうことなのでしょうか?

それは相手の気持ちを満たすことだと思います。そのためには、相手の気持ちをタイムリーに読み取る能力が必要です。

例えば、相手が家庭的なものを求めているときなら、手料理を振舞ってあげたり、ココアや紅茶を入れてあげたりするといいかもしれません。

不安で人恋しくなっているときは寄り添ってあげ、反対に、一人で気持ちを整理したがっているときは、そっと見守っていてあげる。

与えるためには、相手やそのときの状況に応じて柔軟に言動を変化させていくことが大切です。


言いなりになったところで相手は満たされない

だし、相手の言いなりになったり、わがままを全部聞き入れたりすればいいというわけではありません。「お金貸して」とか「俺以外の男と会うな」とか、無茶言ってくる人は、結局言うこと聞いたところで心は満たされません。いくら要求を飲んでもエスカレートしていくばかりで底なしです。

そういう人は、その欲求の向こうにある傷を探り当てるところから入らないと無理なんじゃないかなと、過去の経験からつるぞのは思います。

 

まとめ

際に恋愛をしてみると、イメージしていたとおりには上手くいきません。心が乱されることも多いですが、一人で生きていたころよりも刺激的で学ぶことも多く、幸せも大きいです。