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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

非日常感の耐性

しい部屋の鍵を受け取ったとに、わたしはアトリエを手に入れた気になっていた。
ここでなら、実家では書けなかったような、創意あふれる物語や散文を書けるはずだ、と。

そのときのわたしは、住み始めてしまえばそこが自分にとっての日常となり、最初に感じた非日常感は跡形もなく消え失せてしまうということに気がついていなかった。

結局、いくらかの犠牲を払って手に入れた城よりも、実家の隣にある事務所で執筆するのが一番捗るという事実に、わたしは今すこし愕然としている。

 

いったい、自分の部屋の何がいけないのか。

考えた末に導き出した答えは、そこが生活の場であるから、という、救いようのないものだった。

生活と創造は相容れない関係なのだろうか?

いや、しかし、と頭に浮かぶのは、ある著名な女流作家(名前は忘れてしまった)が台所で原稿を書き続けていたという事実だ。

台所という生活の中心とも呼べるような場所で作品が生まれるのなら、一人暮らしの部屋で生まれないわけがない。

ということは、やはり気持ちの問題なのだ。

書けない理由を部屋のせいにしてしまう、己の心の在り方こそが問題なのだ。

そこを棚上げにして、非日常感に頼り続けていれば、次々に新しい書き場を求めることになるだろう。

恐ろしいかな、非日常感とは抗生物質のようなもので、長く使い続ければ耐性ができて、徐々に効果が薄れてゆくものなのである。