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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

認識の偏りに気づいて「中立」の感覚を知れば本当の自由が手に入る!

近、なんだかモヤモヤすることが多かったので、『嫌われる勇気』を再読していました。この本は読む度に得るものがあるので、当分のあいだ手放せそうにありません。

 

今回は、「すべての悩みは人と比べることから生じている」という部分を読んで、はっとなりました。
たしかに、優劣って概念がなかったら、いまある悩みって全部消えちゃうかもしれないないなって。

 

優劣を意識していなければ「見下された」と感じることもない

近はとにかく父から見下した態度を取られるのが苦痛だったんですけど、それも私が『優劣』を意識していなければなんとも感じないことなんですよね。自分で「下に見られた」って感じるから腹が立つわけで。

自分では「中立」を意識しているつもりでも、まだまだいろんなことを比較して優劣つけてるんだなーってびっくりしました。

 

認識の偏りに気づいて「中立」に近づけば本来の自分に戻っていける

ょっと話が変わりますが、こういう話を聞いたことありませんか?

私たちはそもそも完全な存在なんですけど、完全な状態だと「自分は完全である」という感覚を味わえないので、それを感じるために、あえてこの世界で不完全な体験(実際にが不完全だと思い込んでいるだけ)をしています。だから、この認識の偏りに気づいて『中立』に近づくことで、本来の自分に戻っていけるっていう。

ちょっとわかりにくいと思うので、気温にたとえて説明してみますね。

たとえば、常に気温が20℃に保たれていたら『ちょうどいい気温』っていう感覚はわかりませんよね? でも、私たちは夏の猛暑や冬の極寒を知っているから、『ああ、今日はちょうどいい気温だな』って感じることができます。この『感覚を知る』っていうのが、わたしたちに与えられたミッションのようなものなんです(たぶん)

 

優劣という観点を超えれば自由になれる

劣という観点を超えれば、人は一気に自由になれます。世の中から怖いものがなくなります。

他人から嫌われようが説教されようが、それをすることが自分にとって心地よいことであれば「あの人の感覚ではダメなことなんだなー」と思って受け流せますし、逆に、「たしかに、この状態は不快だな」と感じれば素直にその意見を取り入れることもできます。もちろん、「自分はなんてダメなんだ!」と罪悪感を持つことなしに、です。

 

「中立モード」に入ればすべてを楽しめる!

は最近、たまにこの「中立モード」に入れるときがあって、そういうときは人と話すのがただただ楽しいです。怒りっぽい人も説教くさい人も含めて、みんなの感性がおもしろくて、その凸凹した感じを純粋に楽しんでいます。

自分を否定されても傷つかないので、いちいち相手に「私は間違ってない!」と主張したり、誰かに「私は悪くないよね?」と同意を求める必要もありません。
もうね、すっごく楽なんです。「これ言ったらマズイかな」とか、そんな心配もしない。言葉が与える影響なんて、基本、受け取る側の問題だから、故意に傷つけようとしたわけでないならあとは気にしなくていっていうのが自論です。

あえて傷つけようとはしませんけどね、必要以上に気に病んだりもしないってことです。

いろいろ考えて慎重に生きるよりも、いまこの瞬間を全力で感じることの方が何倍も大切だと、最近はこんなふうに感じるようになりました。

 

まとめ

なたの悩みの根本にはどんな「思い込み」が隠れていますか?

それを知ることが幸せへの第一歩です。

いま、なぜそんなに苦しんでいるのか。まずは徹底的に自分に問いかけてみましょう!