嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

「やりたいこと」「好きなこと」に一貫性を求めるのをやめたら本当の意味で自由になれた気がする

っと認めたくなかったけれど、私の「小説を書きたい」という気持ちには執着が含まれている。すべてではないけれど、その割合はけっこう大きい。

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認めたくなかったのは、認めることで「小説家」という夢を失うことが怖かったからだ。もっと言えば、小説家を目指しているちょっと特別な自分を失うことが。
口には出さなかったけれど、心の中では、自分からそれを取ってしまったら何も残らないのではないかと怯えていた。
少しずつスピリチュアルの世界に触れ始めて、大量の本やブログを読んで知識を吸収していく中で、執着がいかに人生の妨げになるのかということは十分に理解していたはずなのに、それでも手放す気にはなれなかった。
でも、いま、これを書きながら、そろそろその時期なのかなと思い始めている。
私はたぶんこの先も小説を書き続けるし、勉強も続けるし、気が向いたら文学賞にだって応募するだろう。けど、もう、それを夢として追い求める人生はやめようと思う。
ただ、好きなことのひとつとして、小説も書くことも愛し続ける。それでいいじゃないか。
どうして急に手放す気になったのかというと、昨夜、ちょっとした悟りを得たからだ。悟り、なんて言葉は大げさすぎるかもしれないけれど、でも、私にとってはそれくらい大きな気づきだった。
 

統一された何者かであろうとする苦しみについて

はきのうの晩、翌日からまた仕事の日々が始まることにうんざりしていた。事務所でも仕事もそうだけど、昼から「小説を書かなくては」「ブログを書かなくては」「ライターとしてがんばらなくては」と焦燥感におぼれるのが一番つらかった。

何度やり方を変えても、最終的にはまた「やらなくては」という自分に引き戻されてしまう。それはたぶん、私が統一された何者かであろうとしていたせいなのだと思う。
そう、私は自分がブレた行動を取ることを無意識のうちに責めていたのだ。小説家を目指す人として、ブロガーとして稼ぐことを目指す人として、そして、駆け出しライターとして、それにふさわしい行動を取り続けていないと、あるいは、他人の目にそんなふうに映らないと気が済まなかった。
それから、「やりたいこと」をはっきりさせておかないと、「やりたくないこと」を無理やりやらされるのだという思い込みもあった。だから、「私はこれがやりたいから、他のことはできません」と、やりたいことを盾のように使っていた。
 

好きなことに一貫性を求めることが問題だと気づく

けど、ふと気づいたのだ。私はやりたいことを素直に形にしていくことが自然な生き方なのだと理解して、このブログでも何度もみんなにそう訴えかけてきたのに、自分自身は何かと言い訳をしてそれをしていないじゃないかと。
小説もブログもライターの仕事も、それ自体は大好きなことだ。やめろと言われてやめられるものではない。実際、楽しくて楽しくて寝食も忘れてしまう瞬間だってある。だから、ある程度は好きなことをできてはいるのだと思う。
でも、どちらかというと、しんどいと感じることが多い。しんどいということは、どこか自然ではないということだ。
これについて私はきのうずっと考えていた。考えれば考えるほどわからなくなって、「私は自分で思い込んでいるだけで、本当は書くことが嫌いなんだろうか」とさえ思い始めたころになって、ようやくある答えにたどりついた。
「一貫性を求めるからダメなんだ」
つまり、「小説が好き」と決めたら、三百六十五日好きな状態でいけないと思い込んでいたのである。途中で休憩したり浮気をしたりすることは悪だと。
 

その瞬間、瞬間にやりたいと感じたことを行動に移していけばいい

も、本当はそうじゃない。今日はブログばかり書いていてもいいし、明日は小説だけに没頭していてもいい、途中で手芸に浮気してもいいし、遊び回る時期があってもいいのだ。別に仕事やお金につながることでなくたっていい。それが心の底からワクワクできることなのであれば、表面上がどうであれ、必ずどこかに結びつくはずだ。
「変に『これが私のやりたいこと』と決めてしまったせいで、それに縛られて身動きが取りづらくなってしまっていたんだ」
そう気づいたとき、「もうこんな生き方はやめよう」と思った。だって、しんどいだけで非効率なんだもの。
そして、手元にあった簡易ノートに、
 
「明日からはお金のこととか考えないで、その瞬間、瞬間にやりたいと感じたことだけを行動に移していけばいいんだよ」
 
と書きつけた。そしたら、本当の意味で自由になれた気がした。
朝目覚めてすぐに読めるように、それを枕元に置いて眠った。
 

解放感でいっぱい!

して、実際、今日はそれをそのまま実行した。変性意識を生成する訓練をして、パソコンの設定をいじって、そのあとはご飯も食べずに八時間近くもブログを書き続けた。(間食しすぎてお腹いっぱいだったというのもあるけど)
いま、就寝時間が迫る中、「明日はなにをしよう!」と、いつもと同じことを、いつもと正反対の気分で考えている。時間が、どんなものにでも成形できる粘土みたいなものに感じられる。どんな楽しいことだって起こる気がする。
つまりひとことでいうと、解放感でいっぱいだ!
 
夢を追い続けることだけが幸せだと思っていたのに、それを手放したことでこんなに幸せな気持ちになれるなんて。
でも、「これまでの人生はなんだったんだ」とは思わない。悩んだり苦しんだりした日々もふくめて私だけの特別な経験だからだ。
 

まとめ

やりたいことに一貫性を求める必要はない。いまスポーツ選手になることを目指したとしても、三年後には別の何か、図書館司書とかエンジニアとか、そういうまったく関係のないことを目指していたってかまわないのだ。
それから、夢を守ろうとしなくていい。無理をしなくても本当に好きなことならあなたは自然と続けるだろうし、そうでなかったとしても、また別の「もっと好きになれること」に出会えるのだから、怖いことなんてなにもないのだ。
「自分はこれが好き」と決めるのではなく、
 
「いま、この瞬間に何がしたいか」
 
そこにフォーカスしていれば、たぶん自然と物事はいい方向に流れていく。これからはそのことを私自身で体現していけたらと思う。
 
以上、今日は気分でかたい文章にしてみましたが、なんか恥ずかしいから、たぶんまた元に戻すと思います(笑)
 

さいごに

んだかめちゃくちゃ恥ずかしいことを書いている感じがして更新ボタンを押すのがちょっと怖かったです。でも、これまでで一番本音で書けた気もしています。
これから、もっともっと深い本音をさらけ出していけたらなと思います。