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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

落ちこぼれという名の天才たち

ネージャーが欲しい、と感じることがときどきあります。

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他人に行動を決められるのが嫌いなくせに、一方で無秩序な今の活動を正してくれる誰かを求めているみたいです。私は。

 

 

自分の行動に対する「正しくない」という認識 

分で自分をマネジメントすればいいのでしょうが、それができないから混乱状態に陥っているわけで。

しかし、これもまた、無秩序であることが正しくないという認識から生まれた感情なので、見つめ直すべきはそう感じてしまう私自身の奥に凝り固まっている観念なのでしょう。

いい加減、正しくない生きようとすることをやめてしまいたいです。本当に。

やーめたっ! 

という感じの軽いノリで。

 

落ちこぼれだと思っていた人たちはある意味天才だった

こんなことを考えていると、昔は心のどこかで見下していた、勉強もせずに好きなことばかりして自由に楽しんでいる、いわゆる落ちこぼれと呼ばれる人たちは、ある意味で天才だったんだなと気づきました。

だって、私、勉強せずにテストを受けるなんてできなかったですもん!

今回はもうしないぞって思っても、結局一週間くらい前になると不安になって猛勉強しちゃったりして。

結果、まあまあ見られる成績を残しても、なんだか自分に負けた気がしていました。そのときは親からの圧力に屈してしまったと感じていましたが、実際は、エゴからの圧力への敗北だったんだなと。

 

あらゆる面でいい子ぶりすぎている

績が悪いのにみんなの人気者ですごく幸せそうにしている子を見ると、「なんでこんなに頑張ってる私じゃなくて、勉強しないあの子が楽しそうにしてるんだろう」と不満に感じていたように思います。

テストで悪い点を取ることが自由というわけではありませんが、「五教科いい点取らないと」っていう意識に縛られずに、好きな教科や趣味を極めるような子ども時代が送れていたら素敵だったなと。

恋愛もたぶんそうなんですよ。なんとか無理をしないようにバランスを取ろうとはしていますが、本当にありのまま恋人に接しているかと聞かれると答えはノーです。

自分の中のいい女像からギリギリはみ出ないところで抑えようとしています。自由に振る舞うことと相手をないがしろにすることとの境界線がわからないっていうのも大きいんですけどね。

日常生活においても、恋愛においても、まだまだいい子ぶりすぎているなあ、と、そんなことを感じました。

 

まとめ

えすぎてどうしたらいいかわからなくなってしまったときは、考えることをやめて直感だけを頼ってみるのもいいですね。

よーし、バカになるぞー!