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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

誰かがGOサインを出してくれるのを待っているかぎり自由には生きられない!

社で働いていたころ、仕事を辞たくて仕方ないという時期がありました。

そのころ、毎日母に「辞めたい辞めたい」と愚痴っていたんですけど、いま思うと、無意識のうちに、母が「辞めていいよ」というGOサインを出してくれるのを待ってしまっていました。

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今日は、そんな私が「自分の意思で行動しようとしない自分」に気づき、自分の人生を自分で選べるようになるまでのエソードをご紹介したいと思います。

 

 

自分のことを自分で決めた経験が少なかった

時は自覚していなかったんですけど、会社を辞めるまでは自分のことを自分で決めることが極端に少なかったです。

高校は両親から「あの高校以上のレベルの公立にしか行かせない」と言われていた上に、目指していた高校を「ギリギリのラインだから」という理由で却下されたので、最終的に選択の余地はありませんでした。

バイトも自分で探すと続かないことが多く、結局、母に紹介してもらったところでばかり働いていました。

そして、就活の際も、いちいち「この会社はどう思う?」「志望動機はこれでいいと思う?」などと、母にお伺いを立てているような感じでした。

そして、「そこは辞めといた方がいいんじゃない?」と言われると、途端に興味を失っていました。結局、母の反応が良かった会社に就職することになりました。

「こうしなさい」と言われたままに従っていたわけではありませんが、こうやって見ると完全に両親の望むままに生きてきた感じですね。

(でも、ずっといい子だったわけではなくて、その反動で問題行動を起こしまくっていました)

 

自分で決めない限り自由には生きられない

こんな感じで、ここまで親の敷いたレールの上をぶうたれながら走ってきたわけですが、あるときふと気がついたんです。

「どうして私は母が辞めていいよと言ってくれるのを待っているのだろう。干渉されたくないと思っているくせに、なぜ自分の意思で行動しようとしないのだろう」

と。

そこで、自分で決めない限り自由に生きることなんてできないと悟ってからは行動が早かったです。一週間で決断し、退職の意思を伝える前日の夜に母に報告、翌日には主任に伝えていました。

なんだか無性に燃えていて、「自分の人生、自分で決めなくてどうするんだ!」と息巻いていました(笑)

逆に、それくらいのエネルギーがなければ、ビビりの私は行動できなかったと思います。

 

そこから本当の意味での自分の人生がスタートした

かが退職ごときで大げさだと思われる方もいるでしょうが、自分一人で考えて結論を出し、それを実行に移せたという経験は、私にとって大きな自信となりました。

それと同時に、「自分で生き方を選んでいいんだ!」と思えたことで、その先の人生に再び希望を感じることができました。長い長いトンネルを抜けた瞬間です。

まだ、「こんなことをして本当に大丈夫かな? ここに残っている人たちの方が正解何じゃ……」と不安を感じることもありましたが、それよりも解放感や万能感の方がずっと強かったですね。

一種のエクスタシー状態でした。

そして、そこから本当の意味での自分の人生がスタートしました。

 

まとめ

分で選べていなかったときは、自分の人生がベルトコンベアーの上に乗っているような感覚がありました。

自分の意思とは関係なく前へ前へと流されていって、チェックポイントに到達するまでにあるレベルまで成長していないと、不良品だといって弾かれてしまうような気がして不安でしたね。

「みんなには真実が見えていない。だから、こんな絶望的な世界で笑って生きていられるんだ」

と、まるで自分だけが真理に気づいているかのように思っていました。

そこから抜け出してみた今は、それが色眼鏡を通した世界であったということがようわかります。いま私の前に広がっている景色も、色眼鏡越しに見ているものであることには違いないんですけどね。

だけど私は、あの真っ黒なサングラスよりも、こっちの虹色の眼鏡の方がお気に入りなんです。