読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

ブログや小説を書きあぐねている人へ! うだうだ言わずにとにかく書かないと私みたいに後悔しますよ

お金・夢・才能・仕事

説を書いていて、ふと感じたことがあります。

 

(↑技術を追い求めることに疑問を感じ始めたら、この本がおすすめです)

それは、「いま書きたいと思ったことは、いま書いてしまわないと書く機会を失う可能性がある」ということです。

 

 

熱量はひらめいた瞬間が最大!

はふだんからネタ集めのために、アイディアや描きたいシーン、使いたい文章などをメモ帳にどんどん溜めています。

ところが、ひらめいたその瞬間は「これは絶対におもしろい!」と意欲満々なのに、時間が経ってからそれを書こうとするとまったくやる気になれなかったりするんです。

他にも、きちんと完結させられる小説って、勢いのまま一気に書き上げたものが多いです。

長編小説になるとさすがに一気にというわけにはいきませんが、それでも毎日ある程度触れ続けておかないと、興味を失ってしまいます。

熱量はひらめいた瞬間が最大で、そこから離れれば離れるほど冷めていってしまうのです。

 

自分自身のが変われば、変わる前に書こうと思っていたことは書けなくなる

れから、人は日々変わっていきます。

考え方、捉え方、感じ方……自分では何も変化していないように思えても、長い目で見れば確実に変わっていっているのです。

試しに、十年前の自分を思い出してみて下さい。

毎日どんなことを考えて過ごしていましたか?

何に興味を持っていましたか?

恋愛や人生における価値観はどうでしたか?

いまのあなたとまったく同じ部分もあれば、変わった部分もあったでしょう?

でね、ここまで大きな変化ではなくても、毎日少しずつ変わってるんです。昨日の自分と今日の自分とでは微妙に違う!

すると、昨日「Aだよね!」と思っていたことが、今日になると「AというよりはBかな」なんて思うようになっていたりするわけです。

こうなると、もう「Aだよね!」とは言えなくなってしまいます。嘘になってしまいますからね。

私はこれまでに何度もこういうことを経験していました。

もしその場で記事にしておけば、「Aだよね」という記事と、「Aだと思っていたけど、こうこうこういう理由でBだと思うようになりました」という二つの記事が書けたのに!

 

今日書ける文章は今日しか書けない

説もそうで、昔書いていた作品は、いまの自分には書けません。なぜなら、世界に対する考え方が変わってしまったからです。

当時のことを思い返しながらであればなんとか書けるかもしれませんが、作品に込める熱は変わってしまうと思います。

ということで、今日書ける文章は明日や来月や来年には書けなくなっている可能性があります。

だから、「気分が乗らない」とか「ひどい作品を作るのが怖い」なんて言っている暇はないんです。

いま書けることは、いま書いてしまう!

下手でも支離滅裂でも、それを書きとめること、人目に触れさせることそのものに価値があると思って、憑りつかれたように書きまくりましょう。

 

さいごに

くさん書けばそれだけ駄文も多く生み出すことになりますが、そうすることで失敗することへの抵抗が減っていきます。

失敗を恐れて前に進めないタイプの人は、荒治療だと思って「駄作を量産」する気で取り組んでみてはいかがでしょう?