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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

お金も、物も、時間も、ため込むだけでは意味がない! 増やすことより「生かすこと」を意識してみる

お金・夢・才能・仕事

しぶりに実家の弟の部屋をのぞいてきたんですけど、相変わらずひどい散らかり様でした。

丸めたままのポスターはカゴに収まり切らずに雪崩れかけているし、棚に入り切らないCDやDVD、本はそこら中に山積みにされてホコリをかぶっているし、高価なフィギュアもケースがくもっていました。

 

もう何年も前からそんな状態なんですけど、今日改めてその様子を眺めながら、「こんなにたくさん集めて、一体いつ楽しむんだろう。一生かけてもこれだけの本は読み切れないだろうし、音楽だってDVDだって聴いたり観たりできないだろうし、ポスターだって貼る場所がないんじゃないだろうか」と、なぜか関係のない私が途方に暮れてしまいました。

 

そして、そのことから、「楽しむ機会のない(使わない)物を買い集めることと、お金を貯め込むこととは本質的には同じだなあ」という考えが浮かんできました。

 

 

代償行為としての消費とそうでないものとの見分け方

「お金はどんどん自分のために使った方がいい」と言いますが、それが何かの代償行為(不安や虚しさ、不満、怒りなどの原因から目をそらすために起こす行動。穴埋め的な感じ)だと、いい方向には向かいません。

で、この代償行為としての消費と、本当に自分が望んでいることに使うこととの見極めが難しいなあと感じていたんですけど、今回のことで「それを生かせるかどうか」を基準にすればいいんだなと気づきました。

 

物を生かすということ

かすといっても、そんなに難しく考える必要はありません。

要は、「それで自分は楽しめるのか」「満たされるのか」「使い続けられるのか」ということです。

クローゼットの奥に仕舞い込むだけになったり、箱に入れたまま棚の中に眠らせるようなことになりそうなものは買わない。

で、購入前にちゃんとシュミレーションしてみる。

これを意識するだけでも、お金の使い方は上手になると思います。

それで失敗しちゃったときは、放置しないで売るなり人にあげるなりして循環させるといいですよ。そうすれば無駄にならないし、場合によっては人に喜んでもらえるし、罪悪感も軽くなります。

 

時間についても同じことが言える

目漱石の「道草」という小説の中に、守銭奴のごとく時間にケチケチしている主人公が出てきます。

実は私もこの主人公と同じくらい時間にケチで、ちょっと長話を聞かされただけでもイライラしてしまう性質なんです。

だから、話が長くなると相手が話し終える前にその場から去ってしまうし、誰かのせいですこしでも無駄な時間がきるとイライラするし、外へ働きに行きたくないのも通勤や休憩時間の会話など余計な時間を取られるのが嫌だからです。

仕事中も残業になりそうなときは話しかけられてもほぼ無視してしました。

ここだけ見ると、いかにも無駄のない生活をしていそうに見えますよね。でも、実際は真逆なんです!

せかせかして確保した時間は、スマホいじりやどうでもいい悩みなど無駄なことに消費してしまいます。

そして、「時間が足りない!」となって、さらに時間をケチるという悪循環にハマっているのです。

でも、お金や物の話と同様、生かせない時間に価値はありません。

スマホや悩むことに時間を費やすくらいなら、おばちゃんと話してネタ集めをしたり、母の話を聞いてあげたり、社員さんと雑談して楽しんだ方が(これは今はできないけど)よほど有意義です。

そのことに気づかずに、これまで無駄にせかせかしていました。

 

まとめ

のために貯めるのか、買うのか、時間を削るのかという目的を明確にしておかないと、すべてが無駄になってしまいます。

無駄にするという経験をすることも悪いことではありませんが、もう十分に経験したという人は、今度は「生かすこと」を意識してみて下さい。

お金や時間に対するイメージがまた少し変わるはずです。