読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

「好きな人が離れていく不安」の正体! 人をコントロールしようとする限り自由には生きられない

人間関係(家族・恋愛・友情他)

はようございます、つるぞのです!

前回の記事を更新したあと、両親に自分の気持ちを伝えて、すんなりOKしてもらいました。そのおかげで、朝起きた瞬間にわくわくできる毎日を送っています。

……が、実は最近、「彼の心が離れたらどうしよう」という不安を感じる日が続いていました。

特に何かあったというわけではなく、どっからどう見てもめちゃくちゃ大事にされてるんですけど、些細な変化にいちいちビクビクしてしまって……。

 

これまで何度も見逃してきたこの感覚と、今回やっと向き合うことができたので、今日はそれについて書こうと思います。

 

 

浮気、セックスレス、別れ!? ネガティブ妄想が止まらない

近そういう悩みを耳にする機会が増えたせいか、よく浮気やセックスレスについて想像するようになりました。

「もし、彼が浮気したら……」

「もし、彼とセックスレスになったら……」

という妄想に囚われて、今週どれだけの時間を無駄にしたことか。

そんなことばかり考えていると、彼の些細な行動がネティブな妄想の引き金になってしまいます。

 

たとえば、

 

  • ジム通いを始めた⇒出会いが増えて他に好きな子ができそう……

  • スパは水着着用の男女共同⇒水着姿の女の子にそそのかされるかも(そもそもプール使う気ないて言ってたのに)

  • ジムの契約が夜⇒夜の判断力が鈍った状態で水着の女の子に(ry

  • 趣味がどんどん増えていく⇒どんどん一緒に過ごす時間が減っていって、趣味仲間と過ごす方がよくなるかも。そしてそのうち、その仲間内の女の子と……。

 

こんな感じです。

だいぶ重い女になっちゃってますが、たぶん、読者の方々の中にも「あるある」って思った人多いんじゃないでしょうか?

 

他にも、同棲したらセックスレスになるかも、とか、私に興味なくなって浮気したくなるかも、とか、わざわざネットでネガティブな情報集めてくら~くなってました(苦笑)

 

「好きな人が離れていく寂しさ」は昔からずっと持っていた

 

度追い払っても、またすぐ同じ思考に戻ってしまうので、これはもうとことん向き合うしかないと腹をくくりました。これだけあふれてくるということは、そろそろそういう時期なのだろうと思ったんです。

 

それで昨日、「私は何を不安がっているんだろう?」と自分の気持ちを探ってみました。そしたら、「そういえば昔からずっとこの感覚持ってたなあ」ということを思い出したんです。

恋人が離れていく不安はいつでもありましたし、友だちに対しても同じ不安を感じていました。恋人が世界を広げることや、仲良くなった友だちが他の子に興味を持つのがすごく怖かったんです。

実際に離れていった人もたくさんいました。そういう経験を繰り返すうちに、いつしか「いつ誰が離れていってもいいように、相手に依存しないようにしよう」と考えるようになったんです。

それがちょうど高校を辞めたあとの時期で、その頃はひたすら「強くなりたい」と感じていました。

寂しさを感じること、それから弱い自分をさらけ出すことを否定して、自分から切り捨てようとしていたんです。

 

孤独が好きだと思っていたのに、実はめちゃくちゃ「寂しがり屋」だった

はプライドが高いので、弱い自分を見せることに抵抗がありました。中でも、「寂しい」もと感じている自分を知られるのが死ぬほど恥ずかしかったんです。

その恥ずかしい自分を隠すために、いつのまにか感情自体を無視するようになっていました。自分では強くなったと思っていたんですけど、単に蓋をして押し込めていただけだったみたいです。

昨日、自分の感情を出てくるままにしていたら、最後に強烈な「寂しさ」が襲ってきました。めちゃくちゃ泣きました(心屋さんの心理学に出会ってから、本当に泣き虫になりました笑)

そのあとで改めて思い返してみると、最近「ん?」と心にひかかったことは、どれも「寂しさ」を刺激することばかりでした。

十年以上、自分は人といるより一人でいる方が好きで、孤独を愛しているのだと思っていたんですけど、実はとんでもない寂しがり屋だったみたいです。

 

根っこにあったのは「お母さんが離れていった」という悲しさ

屋の定番ですが、やっぱりこの強烈な「寂しさ」の根っこにあったのは親子関係でした。

私は長女だったので、生まれたときは母の愛情独り占め状態だったのですが、しばらくして祖母が私を連れて行ってしまうことに悩んだ母が、「この子を私だけの子だと思うのはやめよう」と突き放すようになったんです。

でも、弟に関しては祖母が干渉しない宣言をしたので、母はめちゃくちゃ愛情を注いで育てたそうです。男の子ということもあって、めっちゃ甘やかされていたと思います。

当時のことはほとんど覚えてないんですけど、たぶん私はここで「大好きな人は他に愛情を注ぐ対象を見つけると離れていく」と感じたのでしょう。

それをここまでずるずると無意識のまま引きずってきた気がします。

 

寂しがればいいし、悲しめばいいし、自分は自分で満たせばいい

っこはわかったけど、じゃあ、どうすればいいのでしょう?

 

……答えは単純です。

 

どうにもならんから悩むだけ無駄!!

 

どんなにいい関係を築いていても、人の心は自由なものだから、他の人に惹かれるときは惹かれてしまうでしょう。

それは私も彼も同じこと。

それを「絶対に離れていかないようにしよう」と無理な力を加えるから、苦しくなるし、恋人との関係も変になってしまうんです。

一時的に興味が薄れることも、愛情が希薄になることも、心が離れることも、ぜんぶ同じ。悲しいけれど、私にコントロールできるものではありません。

そのときは、思いきり悲しんで、泣いて、周りに慰めてもらって、自分で自分を満たしてあげるしかない。ていうか、そうすればいいんだ。

そう受け入れたら、めちゃくちゃ楽になって、嫌な妄想も止まりました。

 

純粋な「こうしたい」を大切に

の考え方の落とし穴。それは、「いつもらえなくなるかわからないから、最初から受け取りません」と愛情を拒絶してしまうことです。

私は長い間こうやって拗ねて生きてきたので、せっかく「友だちになりたい」と近づいてくれた子とも積極的に関わろうとしませんでした。

恋人に対しても、「あ、会える時間減りそう。じゃあ、デートのこととか考えるのやめよう。一人で楽しむ方に意識を向けよう」という反応になることが多くて……。「今から慣れておかなきゃ」みたいなね。

でも、そうじゃなくて、「ここ一緒に行きたい!」って言ってみて、断られたら、それから自分一人で楽しむことを考えればいい。「こうなったら嫌だからこっちを選ぼう」という、結果&リスク軽減重視の選択じゃなくて、もっと純粋な「こうしたい!」を大切にしたいなと思いました。

 

人をコントロールしようとする限り自由には生きられない

「いつまでもこの状態が続くわけないから、これ以上好きになるのはやめておこう」もアリだけど、私は、そのときの寂しさを覚悟の上で、今全力で彼を好きでいようと決めました。

そしたら、心がめちゃくちゃ自由になりました。

人をコントロールしようとする限り、自由に生きることはできないんですね。

どちらを選ぶかは自分次第ですが、私はこれまでコントロールしようとする生き方を続けてきたので、そろそろシフトチェンジしていきたいです。恋愛以外の面でも。