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嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

ハードな食事制限を続けている自分にいつのまにか価値を感じていた

が食事制限にこだわる理由の中には、いくつかの歪みが隠れています。

これまではその中でも、美しさや若さに対する執着に注目してきましたが、今回は別の面から掘り下げてみたいと思います。

 

 

まず一番に浮かんできたのは、「欲を抑えられるすごい私を演出したかった」というもの。他人にはなかなか真似できない(であろう)ストイックな食生活をしている自分に価値を感じていたんです。

 

 

そのことで、周りの人たちに優越感を抱いていた部分もあります。「私は欲に流されて身体を汚すなんてことしないわ。ツンッ」みたいな(笑)

だから、特に人前では絶対に制限を破れなくなってしまっていました。

もし破ってしまったら優越感を抱けなくなる。それどころか、食事制限を守っている人たちから軽蔑される側になってしまう。

そんな感情が浮かんできてびっくりしました。

なんちゅうドス黒いものを溜め込んでたんだ、と。

 

あと、肌を褒められたときに、「食事制限してるからです」と言えなくなるのも嫌でした。努力してるからってことで納得してもらいたかったみたいです。

「それなら仕方ないね」って許してもらいたがっている自分がいました。逆に、何の理由もなかったら責められそうだと感じていました。

 

(いやいや、大丈夫。あんた、別に嫉妬されるほど肌キレイじゃないから。昔と比べたらマシになったっていうだけのことで)

 

っていうのは置いといて……(笑)

 

いまはこうした変な執着を手放しながら、純粋な気持ちで食べ物を選ぶリハビリをしています。だから、気が向いたらアイスも食べるし、胃腸と相談しながら少しずつ小麦(一番、お腹への影響が怖い!)も解禁していっています。

 

こうなると、もう「食べれないんです」という言い訳は通用しなくなるから、食べたくないときは「食べたくない」という理由で断るしかありません。

もしかしたら、これが一番怖いことなのかも。

たとえば、手づくりのお菓子とか、お土産とか、いくら愛情がこもっていても口にしたくないときはしたくないし、誰かとご飯を食べるときだって無理やり小麦系や脂物に付き合うのは嫌です。

そういうときにはっきり断れるかどうかが今後の課題になってくるでしょう。

 

でも、自分自身の自由のために、なんとか乗り越えていこうと思います。