嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

本気で好きなこと、夢中になれることが見つからないあなたへ

気で好きになれること、夢中になれることが見つからないと相談されることがあるんですけど、そういう人は「最初からめっちゃ好きになれること」を探しているんじゃないかと思います。

 

でも、私だって最初から「小説が好きでたまらない!」という感じだったわけではありません。

始まりは単なる憧れでしかなく、小説のことなんて知らないに等しかったです。

そこから本気で好きになるまでに、15年くらいかかったんじゃないでしょうか。

 

だから、夢中になれることを見つけるには、目の前にある「やりたいこと」や「なんとなく好き」を大事にしていくのが一番だと思います。

思っていたのと違ったり、途中で飽きてしまったり、たくさん捨てることにもなるでしょうが、その中に「もっと深く知りたい」「極めていきたい」と感じられる何かがひとつくらいは見つかるはず!

 

ということで、今日は私が小説を本気で好きになるまでのストーリーをざっくり書いてみました。

 

 

私がいま小説を書いているのは、純粋にそれが楽しいからです。小説を読んで勉強をしたり、資料を読み込んだりするのも、やはり楽しいからです。

 

もちろん、めんどくさくなったり嫌になったらすることはあります。

でも、夢中になっているときの楽しさを知っているから、時々立ち止まることがあっても、また自然と「やりたい」って気持ちになるんです。

 

でも、その楽しさというのは最初からあったわけではありません。

小説を書き始めた小学生のころから高校生にかけては、頭の中の妄想を文章にすることに酔っていただけで、小説を書く楽しみというのはわかっていませんでした。

 

だから、途中で行き詰まると簡単に投げ出していたし、書くことは暇つぶしのような感覚でしかありませんでした。

他に楽しいことがあればそっちに流されるし、書けない時間が続いても特に何も感じなかったです。

 

転機は高校三年生で不登校になったことでしょうか。それまでは親に言われるまみ生きてきた私が、突然、真っ白になった未来を手に入れたのです。

 

当時は真っ白ではなく真っ黒に見えていたので、本当に怖かった。

でも、だからこそ、必死でそこから這い上がる方法を考えました。

 

そこでなぜか「売れっ子作家になれば人生逆転できる!」と思い立ちまして。(今思うと、そっちの方が難易度高そうですが、その頃は人が怖くて外出もままならない感じだったので、普通に働きに出ることの方が不可能に感じられたんです)

 

そこで通い始めたのが、大阪文学学校という詩と小説の学校です。

通学は週に一度でいいんですけど、毎週グループの人の作品を読み込んで、全員の前で発表する必要があります。

対人恐怖の私がよくそんなことをする気になったなあと思いますが、学校へ行かないなら働けと言われていたので、切羽詰まってたんでしょうね(笑)

 

それまでの私は、漠然と「奇抜なストーリーと凝った文章が書ければいいんでしょ?」と思っていました。

ところが、学校に通い始めたことで、そんな生っちょろい幻想は脆くも崩れ去りました。

しかし、それと同時に、私は文学の奥深さを知ることになります。

 

学校は一応四年で卒業、その後は研究生として残ることができるというシステムです。

でも、私は最初一年も通えませんでした。

ある程度小説を読む目が養われたことで、自分の才能のなさを痛感することになり、途中で書けなくなってしまったのです。

 

「ああ、何十年続けても、私は現役作家さんたちの足元にも及ばない」

 

そう思いました。

 

その後、「ちゃんとした大人になりたい」という気持ちが強くなり、周りのバイト仲間たちと励ましあいながら就職に成功。

しばらくは「それなりにお金があって本が読めればそれで十分」と悟りモードに入っていましたが、一年もしないうちに手が疼き始め(笑)、気づいたら書くことを再開していました。

 

このときはとにかく勉強するのが楽しくて、休日はもちろん、通勤中や休憩時間のほんどを読書に費やして、ひたすら物語の展開パターンや要素を分析していました。

 

それでもなかなか筆が進まなくて、未完の作品ばかりがパソコンに溜まっていく日々。

病みまくっていたこともあり、あるとき、「自分のためだけに何か書こう」と決意しました。

そして、自分の欲望(笑)を詰め込んだ小説を書き始めたのです。

 

欲を満たすエネルギーによるものか、この作品だけは矛盾が出てこようが脈絡がおかしくなろうが、途中で嫌になることなく書き続けられました。

そして、その中で、物語の膨らませ方や人物の作り込み方、場面の切り取り方などを感覚として掴んでいったのです。

 

「まだまだ私には伸び代がある!」

 

見方を変えればそれは、まだまだ未熟だということになりますが、そのときは伸び代があることがすごく嬉しかったんです。

 

このあたりから、小説を書くことが本気で好きになっていったのだと思います。

 

まとめ

「夢中になれることがあって羨ましい」と言われることの多い私ですが、その夢中になれることの始まりは、ほんの些細な「好き」でした。

だから、いま本気で好きなことや夢中になれることがない人は、まずは小さな「好き」や「楽しい」を大切にしていけばいいと思います。

「一生続けたい何かを見つけるぞ!」と固くならずに、「あれやってみたいな」という軽い気持ちで動いてみましょう!