読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嘘にまみれた「私」の脱ぎ方

人から嫌われないために装っていた「私」を脱ぎ捨てて、素の自分で生きていく決意をした私の大暴走をご覧あれ!

今の収入に対して「不当な額を受け取ってる」と思ってたけど、勝手に自分の価値を低く見積もってるだけだった

家から給料としてもらっているお金に対して、ずっと罪悪感を持ち続けています。

父親も母親も全然そんなこと考えてないのに、「不当な額を受け取っている」という思いが抜けないんです。

それについては何度か二人に正直に話していて、父からは「儲かったらもっとあげたいと思ってる」なんて言われ、母からも「税金のこともあるし受け取ってくれた方が助かるねん」と言ってもらっているのに、それでもずーーーーーーーっと悪いことをしているような気持ちが拭えずにいます。

 

(↑本文中に出てくる「存在給」の話はこの本の中で詳しく解説されています)

 

今日はその部分を掘り下げてみようと思います。

 

 

まず、なぜ給料の金額を不当だと感じるのかというと、「実際に働いている時間が短いから」です。

じゃあ、その長い短いの基準は何なのか?

それは、「時給換算した場合の金額」なわけです。

 

何年か前に「自分の収入を自分で決めよう」と思ったことがあったんですけど、そのときに「私は時給1000円以上の女」って決めたんですね。

今考えると「やっすいなあ」って感じなんですけど、それまでは月収18万円くらい、時給なら800円くらいが自分の限界だと思っていたので、それでも大幅なアップだったわけです。

 

で、最初はそれに合わせて働いてました。

月にこれだけもらってるから、1000円で割ったらこれくらいのペースで出勤しなきゃ、と。

でも、だんだん親に甘えられるようになっていって、そのうち仕事中でも堂々と自分のやりたいことをするようになり、さらに最近は出勤時間を大幅に減らしてもらったんです。

 

ここまでは、「私、存在給(※心屋用語)めっちゃ上がった!」ってルンルンしてました。

 

でも、最近、そういうことを忘れてしまってて……。

 

気づいたら、「労働時間×1000円より絶対多くもらってる!! これはヤバイ!!!!」って心が警報を鳴らしていました。

「こんなおいしい思いをしていたら、絶対にあとでしっぺ返しがくるぞ」と。

 

自分の存在給を上げるために決めた収入額が、いつのまにか私の足を引っ張るようになっていたんです。

 

やっと、「多すぎるって、何を基準に多いって思ってるねん! 勝手に自分の価値を低く見積もるなーー!!!!」って思えるところまできました。

 

そもそも、存在給がどうのこうの言いながら、労働時間やら仕事量やらを考えてる時点で矛盾してますよね(笑)

 

「父と母が私という人間にこれだけのお金をくれてる!」

 

ということを、もう一度自分の胸に刻んでおきます。

 

ありがたや~。